The Aalto House 2

アルヴァとアイノ
ふたりのアアルトを訪ねて

- 後編 -

フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルト〈Alvar Aalto〉。 良き妻であり、建築家であり、優れたデザイナーでもあったアイノ・アアルト〈Aino Aalto〉は、アルヴァにとって人生を分かち合うことのできる最良のパートナーでした。
アルヴァ・アアルトなくしてフィンランドの発展はなかったように、アイノ・アアルトなくしては、アアルト自邸もマイレア邸も生まれてはいなかったのです。

この世でいちばん素晴らしい建築をさがす旅。
ふたりのアアルトを訪ねて。

2013 Photo & Text_Scandinavian fika.


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The Aalto House 2

アルヴァの書斎

20世紀を代表するモダニズム建築家アルヴァ・アアルトの存在は、フィンランドの人びとにとって、日本人の私たちには想像がつかないほど大きなものなのです。それは、ユーロ導入前の50マルカ紙幣に肖像画が描かれていたほど。
でも、私たちの知る偉大なアアルトとは違う一面もあったそうです。
アルヴァ・アアルトは根っからのアーティストで、おしゃべりで、型破りなボヘミアン。才能に恵まれていたけれど、お金のことはまったく無頓着。
のちにアアルトの妻となるアイノ・マルシオは、ヘルシンキ工科大学在学中に出会ったアアルトのことを知っているかと尋ねられ、「ああ、あのならず者ね」と答えたというエピソードが残っています。

アアルト自邸の1階西側のスタジオの奥には小さな書斎があります。気になるのは、壁に架けられた小さなはしご。実ははしごの上には隠し扉があって、2階のルーフテラスへと続いています。アアルトは仕事に煮詰まったとき、苦手な客が来ると、このはしごを上って慌てて2階に隠れたのだそうです!

暖炉に火をくべて

アアルトハウスの2階への階段を上がると、そこはプライベートな家族の空間。リビングルームの暖炉を囲むように、夫婦の寝室と子供部屋、ゲストルーム、バスルーム、ルーフテラスがあります。これは温かい暖炉の前に、家族や親しいゲストが自然と集まってくるように設計されています。
冬は暖炉に火をくべて、体をあたために家族みんなが集まってくる。そこには、ごくごくあたりまえだけれど、つい忘れてしまう「暮らしの中心」があります。
アアルトが追い求めたデザインとは、人の生活が中心にあるべき建築。自然と調和し、愛するものとつつましく暮らすこと。アアルトハウスに身を置くと、確かに、人を包み込むような、あたたかな何かが伝わってくるのです。
デザインとは、見た目やカタチではない。住み良い家とは、広さや間取りでない。本当に大事なことは「暮らしの中心」がどこにあるか、ということ。そして、ぬくもりがそばにある、ということ。アアルトはいつだってシンプルに、それを教えてくれます。

小さなアイノ

「アアルトが燃え上がる炎なら、アイノは穏やかな水のようだった」
1894年、ヘルシンキに生まれたアイノ・マルシオ(アイノ・アアルト)は、1915年にヘルシンキ工科大学に入学。大学卒業後、1923年にユヴァスキュラに移り、アルヴァ・アアルトのオフィスで働きはじめたことがきっかけで、ふたりは恋に落ちました。
翌1924年に結婚。2人の子供に恵まれました。
社交的で陽気な夫アルヴァとは対照的に、妻アイノは平和的で穏やかな暮らしを好む、フィンランド人らしい女性でした。母であり妻であり、建築家で経営者で優れたデザイナーでもあったアイノ。おしゃれにも気を使い、自宅ではよくピアノを弾いていたそうです。互いの足りない部分を埋め合うように、高め合うことができる理想の妻アイノを、アルヴァは心から愛していたといいます。
友人や知人でさえ手紙の返事を書くことがなかったという筆無精のアルヴァが、出張先からアイノに送った手紙。「愛しい小さなアイノへ」とつづられ手紙は、決して小柄ではなかったアイノへの彼らしい愛情表現でした。

「愛しい、愛しい、小さなアイノ。
この世で私たちの家族ほどすばらしいものはないと思う。
私たちのあいだには大げさなこともなければ、もろさも全くない。
それが私には嬉しい。
万事が自然で明快なのは、まるでこの世でいちばんすばらしい建築のようだ。
君のおかげだ」

Alvar Aalto and Aino Aalto
©︎artek

中庭とマイレア邸

花よりも樹々や緑を愛したというアイノ。ヘルシンキ工科大学在学中に、造園家のベント・シャリーンのもとで働きながら植物やランドスケープのことを学んだアイノは、松やスモモ、りんごの木など、フィンランドの自然を感じさせる庭をデザインし、部屋の中にも緑を取り入れることを大切にしてきました。
「庭も家のデザインの一部」と語るアルヴァは、家の顔が中庭を向くように設計し、アイノは自分たちの家の庭に松やりんごや桜の木を植えたそうです。
アアルト夫妻の最高傑作ともいわれるマイレア邸(Villa Mairea)は、アルテック共同設立者のマイレとハールのグリクセン夫妻のためにつくられた特別な豪邸。マイレア邸のグリーンの庭をデザインしたのも、屋内に植物を飾ったのもアイノだったそうです。
アイノがフィンランドの樹々を愛でるように、季節のうつろいともに色づく中庭を、世界中の人びとが愛し、毎日のようにアアルトハウスを訪れます。それは理想の景色であり、夢の中庭なのです。
アアルト夫妻がつくり、育んだのは、自分たちの家と庭だけではありません。木々から枝葉が伸びるように、世界中の人びとの、世界中の庭に種をまいたのです。

愛おしきイタリア

アアルト夫妻は1924年に結婚。新婚旅行は1ヶ月半の間、イタリアを旅しました。
ふたりは地中海の温暖な気候の中で、イタリアの文化や様々な様式の建築に触れ、強いインパクトを受けたといいます。
「私はいつも、心の中でイタリアを旅する」とアルヴァは語り、最も印象に残ったトスカーナ地方のように
「ヴァスキュラを北のフィレンツェにしたい」と野心を燃やしたそうです。
自邸のダイニングにある木彫の椅子は新婚旅行のイタリアで購入したもの。イタリア行きを決めたのは、アイノの強いリクエストがあったからだといいます。

1941年、初代社長ハールの後を継いで、アイノはアルテックの社長に就任。戦時中もアルテックの工場は休むことなく稼働し続け、戦後はさらに業務を拡大していきました。類いまれな才能を開花させていったアイノは、1949年に病に倒れ、ムンキニエミの自邸で永遠の眠りにつきます。まだ54歳の若さでした。
清楚で、純真で、彼女が愛した淡い色彩や白がよく似合っていたというアイノ。悲しみに暮れたアルヴァは、ふたりの思い出のつまった地中海へ向かいました。
もう一度、イタリアを旅したのです。あの愛おしきイタリアを。



アルヴァ・アアルトとアイノのロマンスは、和田菜穂子さんの『北欧モダンハウス 建築家が愛した自邸と別荘』 の中で描かれています。とても面白い本なので、北欧デザインや建築に興味がある方はぜひ読んでみてください!

Alvar Aalto

1898-1976|Finland
©︎ Alvar Aalto Museum

アアルト自邸

アクセス
ヘルシンキ中央駅から
4番トラムに乗って約20分。
〈Laajalahden aukio〉駅で下車。
自邸まで徒歩約10分。

アアルト財団
www.alvaraalto.fi

アアルト自邸 ガイドツアー
THE AALTO HOUSE
(GUIDED TOURS)


WEB

Studio Aalto

白のアトリエ、
スタジオ・アアルト

アルヴァ・アアルト
白レンガのアトリエ


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