The Aalto House 1

アルヴァとアイノ
ふたりのアアルトを訪ねて

- 前編 -

ヘルシンキ中央駅から北西へ5km。緑豊かなムンキニエミの閑静な住宅地に、その家はあります。フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルト〈Alvar Aalto〉が妻アイノ・アアルト〈Aino Aalto〉と共に1936年に設計し、以後40年に渡り暮らした自邸 アアルトハウス〈The Aalto House〉

この世でいちばん素晴らしい建築をさがす旅。
ふたりのアアルトを訪ねて。

2013 Photo & Text_Scandinavian fika.

The Aalto House 1

アアルト自邸へ

ヘルシンキ中央駅から4番トラムに乗って約20分。終点の2つ前 Laajalahden aukio 駅で下車し、10分ほど歩くと、ムンキニエミ〈Munkkiniemi〉の閑静な住宅地にひっそりとたたずむアアルト自邸〈The Aalto House〉が見えてきます。
白ペンキのレンガに、ダークブラウンの木板張りの2層の外壁。間伐材などの安価な木材を使って建てられた典型的なフィンランドの家。とても北欧を代表する巨匠の邸宅とは思えないほどこじんまりしているけれど、そこが何より魅力的。アアルトのような巨匠でさえ、「暮らし」という部分で私たちとつながっているような気持ちになります。何度も写真で見た、憧れの〈アアルトハウス〉の木の扉の前に立つと、当然ドアが開いて、アアルト夫妻が「ようこそ」と出迎えてくれるよう。

今回あえて最寄りの Laajalahden aukio 駅では降りず、萩原健太郎さんが『北欧デザインの巨人たち あしあとをたどって。』の本の中で教えてくれた穏やかで入り江の景色が見たくて、トラムに揺られて終点 Saunalahdentie 駅まで行きました。ムンキニエミののどかな入り江からでもそう遠くなく、トラムのレールを戻りながら、てくてく歩いて15分くらい。アアルトもきっと、この道を歩いたことでしょう。

波のように、水のように

「アアルト〈Aalto〉」とは、フィンランド語で「波」をあらわす言葉。アルヴァ・アアルトがデザインした美しいうねりや曲線美から、フィンランドの「波」や「水の流れ」を感じとることができます。そして、湖に小石を投げて広がった「水の波紋」のように美しい器をデザインしたのが、アルヴァの最初の妻アイノ・アアルト〈Aino Aalto〉。
イッタラ〈iittala〉のロングセラーとなったアイノ・アアルトのガラスの器は、1936年にミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞。彼女のモダンで普遍的なデザインは、カイ・フランク〈Kaj Franck〉をはじめとする多くのフィンランド人デザイナーに影響を与えたといいます。
1933年に2人の子供を連れて、トゥルクから首都ヘルシンキへ移り住んだアアルト夫妻が、ふたりで設計し、1936年につくり上げた理想の家〈アアルトハウス〉。中庭の広がるリビングには、アイノが好きだったというゼブラ柄のファブリックのタンクチェア〈Tank chair 400〉とソファが並び、ポール・ヘニングセン〈Poul Henningsen〉がデザインしたピアノの上には、彼女の写真が飾られています。
美しい中庭から差し込むフィンランドのやわらかな光のように、ふたりの家は今も色あせることなく輝いています。

スタジオとアルテック

1933年にヴィープリ図書館〈Library Viipuri〉設計のため、仕事の拠点をヘルシンキのムンキニエミへ移したアアルト夫妻は、1935年にマイレ・グリクセンとニルス・グスタフ・ハールら4人でアルテック〈artek〉を創設。アアルトレッグと呼ばれる3本の曲げ木でつくられたアルテックの不朽の名作 スツール60〈Stool 60〉は、もともとヴィープリ図書館で使用するために作られたのもの。

翌1936年に完成したアアルト自邸は上から見るとL字形の建物になっていて、中央のリビングルームの西側には2層吹き抜けのスタジオがあります。リビングとスタジオの間仕切りには、大きな木製のスライドドア。日本を訪れたことはないというアアルトですが、障子やふすまなどの日本の文化にインスピレーションを受けていたように思えます。スタッフも家族の一員と考えたアアルトは、引き戸を用いることで仕事場と生活の場の敷居をなくし、空間につながりを持たせたのです。
スタジオの屋根の形がバタフライ状(V字型)になっているのも興味深い。これは北西側のハイサイドの窓から入る北欧の低く傾いた太陽の光を、室内にくまなく反射させるように考えられているのだとか。スタッフが図面に向かって集中するために、あえて低い窓を設けなかったというスタジオ。そこには、雪で白一色となる薄暗い冬の間は、閉ざされた環境の方が明るく温かく人びとを包容するという、北欧特有の感覚があるからだそうです。

白い机

1898年、フィンランド中西部の小さな村クオルタネで生まれたアルヴァ・アアルト。父は測量技師で、幼い頃のアアルトはよく、父のオフィスにある大きな白い机で遊んでいたといいます。自宅には常に10人前後の測量技師見習い生とアシスタントが住み込みで働いていて、アアルトは活気ある仕事場や父の働く姿を身近で見て育ちました。そして、森林地図を広げるための大きな机に上にあったコンパスや縮尺計で、アアルトは幼い頃から絵を描いていたといいます。
絵のうまかった少年が、画家ではなく建築家を目指したのは、父親の影響が大きかったから。「自然の有機的な地形を把握すること」「自然との調和を心がけること」アアルトが父の白い机の上で学んだことは計り知れません。
アアルト自邸の1階スタジオのコーナースペースには、アアルトが仕事をしていたという机がそのまま残されています。それは、やはり白い机であり、北欧モダンのパイオニアとして偉大な建築家となったあとも、アアルトは時折ここで父の姿を見、大きな白い机のことを思い出していたのかもしれません。


後編へつづく →

Alvar Aalto

1898-1976|Finland
©︎ Alvar Aalto Museum

アアルト自邸

アクセス
ヘルシンキ中央駅から
4番トラムに乗って約20分。
〈Laajalahden aukio〉駅で下車。
自邸まで徒歩約10分。

アアルト財団
www.alvaraalto.fi

アアルト自邸 ガイドツアー
THE AALTO HOUSE
(GUIDED TOURS)


WEB

The Aalto House 2

アルヴァとアイノ
ふたりのアアルトを訪ねて
- 後編 -

アアルト自邸 2


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