marimekko 1951

マリメッコ誕生

マリメッコとマイヤ・イソラ - 前編 -

1951年の誕生から60年以上にわたり、日々の暮らしを彩り、世界中の人びとを魅了してきたマリメッコ〈marimekko〉
うっとりするような鮮やかな色彩と、大胆で個性的なパターン。縞模様や格子模様、水玉や石ころ、色の重なり、線の重なり……。
マリメッコの創業者アルミ・ラティアは「プリントの図柄を描くのではなく、布いっぱいに好きな絵を自由に描いてほしい」とデザイナーたちに伝えました。
でも、ひとつだけ約束があったのです。
「ファブリックに決して"花"を描いていけません。花はそのままで十分美しく、装飾モチーフとしての花は、野に咲く花には叶わないのですから」

ところが、ひとりの若手デザイナーがアルミの言いつけを破り、布いっぱいにケシの花を描いてきました。
彼女の名は、マイヤ・イソラ〈Maija Isola〉───
伝説のデザイナーとマリメッコの物語は、ここからはじまります。

2013 Text_Scandinavian fika.

Fujiwo Ishimoto
1978 Kuuma_©︎ marimekko

marimekko 1951

マリメッコ誕生

1951年5月、レストラン・カラスタヤトルッパで、記念すべき初のファッションショーが開かれました。ヘルシンキの小さなプリント会社 Printex〈プリンテックス〉の社長アルミ・ラティア〈Armi Ratia〉は夫ヴィルヨとともに、カラフルで斬新なデザインのPrintexのプリントを、どのように使ったらよいのか模索していました。そうして生地を洋服に仕立て、コレクションを作り、人前でお披露目することを思いついたのです。
ファッションショーは大成功!新しいテキスタイルから作られたシックで美しいドレスに、観客はくぎづけになりました。まるで魔法がかかったように、うっとりと。モデルが着ていた服は、その日のうちに売り切れてしまったといいます。
数日後、アルミとヴィルヨは、世界中の誰もが発音しやすい「小さなマリーのドレス」という名のブランドを設立しました。みんなの知っている marimekko〈マリメッコ〉の誕生です。
ショーのドレスのプリントを担当した若手デザイナーの中には、あのマイヤ・イソラの名前もあったといいます。
当時のファッションブティックでは高価なシフォンやビロード、ウールなどを使って洋服がデザインされることが多かった時代、モデルたちが安価なコットンのドレスを身にまとっていたことも観客には新鮮に映りました。フィンランドファッションに春の息吹のような、新しい風が吹いたのです。ここが、マリメッコの原点。すべての物語のはじまりでした。

1951 The first Marimekko fashion show
©︎ marimekko
Armi Ratia_ ©︎ marimekko
Vuokko Eskolin-Nurmesniemi
1956  Jokapoika_©︎ marimekko

ヴォッコのヨカポイカ

1951年の創設から30年にわたり、マリメッコブランドを築き上げたアルミ・ラティアのもとで、たくさんの有能な若手デザイナーが輝き、革新的なマリメッコファッションとパターンを生み出してきました。ヴォッコ・エスコリン-ヌルメスニエミ〈Vuokko Eskolin-Nurmesniemi〉もその一人です。
1956年から今も生産され続けているヨカポイカ〈Jokapoika〉シャツは、2本の手書きのしましまを重ねてプリントすることによって、3色目の新しい色が生まれるという画期的なアイデアから生まれたもの。ヨカポイカとは「すべての少年たち」という意味で、マリメッコ初のユニセックスのファッションでもありました。
当時、多くのファッションブランドは、女性がセクシーに見える、体のラインがわかるドレスをつくっていましたが、ヴォッコ率いるマリメッコはその逆を行きました。「セクシーなのは、洋服でなく、女性そのもの」 マリメッコはパリ、ミラノなどの流行を追わず、性別や年齢を問わないユニセックスファッションを打ち出したのです。
そして1960年、マリメッコに思いもよらぬ出来事が起こります。アメリカ大統領に立候補したジョン・F・ケネディの夫人ジャクリーン・ケネディがマリメッコを訪れ、ヴォッコのドレスを一度に7着も購入したのです!このことが話題となり、〈marimekko〉の名は世界中に知れ渡ることになりました。パッと花が咲いたように、そのとき、「マリーのドレス」が花ひらいたのです。

Annika Rimala
Tasaraita_©︎ marimekko

アンニッカのタサライタ

1960年代、「マリメッコらしさ」をつくり、パイオニア的デザイナーだったヴォッコがマリメッコを去り、その後任として抜擢されたのが、マリメッコの子供服を扱うムクスラ店で働いていた Annika Rimala〈アンニッカ・リマラ〉です。
1968年に、リーバイスのジーンズに合うシャツとしてアンニッカがデザインしたボーダー柄のタサライタ〈Tasaraita〉は、一大ブームを巻き起こし、シャツだけでなく、靴下、下着、パジャマなど次々にタサライタ・シリーズが生まれていきました。赤ちゃんからお年寄りまで、男性でも女性でも使う人を選ばす、気軽に買えて、日常的に身につけられるもの。
1970年代に爆発的な人気を誇ったタサライタは、フィンランド人のライフスタイルを一変させました。まるでフィンランドの民の衣装のように、誰もがあのボーダーを身にまとうようになったのです。
創立当初から、マリメッコのビジョンを明確にしてきた創業者のアルミ・ラティアはこう語っています。「マリメッコが売っているのは単なる洋服ではありません。ライフスタイルそのものなのです」
北欧の小さな国で生まれた、小さなプリント会社は、フィンランドの人びとから愛される、なくてはならないものに変わりました。マリメッコのファッションは、単なるファッションを超えたのです。むしろ、それは、デザインであり、人びとの暮らしを明るくする、大きなデザインだったのです。

マリメッコ本社へ行くには、ヘルシンキ中央駅からメトロに乗って約15分。ヘルットニエミ〈Herttoniemi〉駅で下車し、徒歩15分くらい。マリメッコ本社には、大きなショールームやファクトリーショップがあり、プリント工場見学や社員食堂でランチも楽しめます。そして今もプリント工場のスタッフはタサライタを着て、ファブリックを作っているのだとか。

Maija Isola
1961 Lokki_©︎ marimekko
Erja Hirvi
2004 Lumimarja_©︎ marimekko
Maija Louekari
2009 Siirtolapuutarha_©︎ marimekko
Maija Louekari
2009 Räsymatto_©︎ marimekko
2011 Marimekko 60th Anniversary Show
©︎ marimekko

Marimekko 60th Anniversary Show

みなさんに観てほしいのは、マリメッコ誕生から60年後の2011年にヘルシンキで開催された、マリメッコ60周年アニバーサリーショー!                
エスプラナーディ公園のランウェイにひらひらと揺らめく花、アイノ-マイヤ・メッツォラ〈Aino-Maija Metsola 〉のクッカメリ〈Kukkameri〉のドレスが素敵です。

石本藤雄のマイセマ

マリメッコ・マリクルマ店の店に大きく飾られていたのは、32年間にわたり日本人テキスタイルデザイナーとして活躍した石本藤雄さんのテキスタイル。牡丹を描いたクーマ〈Kuuma〉や、カラフルなオストヤッキ〈Ostjakki〉を見て 、同じ日本人としてとても誇らしくなりました。
1960年代に東京で見たマイヤ・イソラのウニッコ(ポピー)やロッキ(かもめ)に感銘を受た石本さんは、日本で6年間グラフィックデザイナーとして働いたあと、世界一周旅行に旅に出ます。そうして訪れたフィンランドに魅了され、そのまま帰国せず、1970年にマリメッコの子会社ディッセンブレ〈Décembre〉で働きはじめ、1974年に晴れてマリメッコのテキスタイルデザイナーとなりました。
石本さんの代表作といえばマイセマ〈Maisema〉。手書きの線を幾重にも重ねて描いた「風景」という意味の作品は、フィンランドでも長く愛されています。

石本さんはアラビア〈ARABIA〉のアート部門でも陶芸制作に取り組み、2013年秋には日本の故郷・愛媛で、『石本藤雄 展 - 布と遊び、土と遊ぶ』を開催。
2018年-2019年には『石本藤雄 展 - マリメッコの花から陶の実へ』も開かれました。
石本さんの「陶の実」も美しくて、愛らしい。2020年秋に開催される『石本藤雄 展- 実り』で、本物の「陶の実」の作品を見てみたい。


後編へつづく →

Fujiwo Ishimoto
1982 Maisema_©︎ marimekko
Fujiwo Ishimoto
1975 ONNI_©︎ marimekko

marimekko

Finland

マリメッコ 本社

アクセス
ヘルシンキ中央駅から
メトロに乗って約10分。
ヘルットニエミ〈Herttoniemi〉駅で下車。

駅から徒歩約15分。 

marimekko
www.marimekko.com

Maija Isola

マイヤ・イソラのウニッコ
- 後編 -

マイヤ・イソラ 自由の旅


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